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慟哭の雨
Side ロイ
軍人になると決めたときから、この手が血に塗れることを覚悟していた。
誰も殺さないで生きていくのは簡単かもしれないが、軍に入り戦争に行き、誰も殺さないなどというのは理想を超えて夢に近い。
好きで殺したわけじゃない。
殺らなきゃ殺られてた。
自分の命を守るため―――
…詭弁だな。
命令されれば無抵抗の人間すらも殺してきた。
同じ人間なのに、人種が違うというだけで殺戮は繰り返される。
生きている人間を焼くのと死体を焼くのでは、罪はどちらが重い?
両方人だ。人と、人であったものだ。
誰が殺したとか、そういうのではなく。
あの戦いに関わった者全てに罪は在り、そして誰もが人殺しであったことを忘れてはならないのだ。
『赤、だな』
『白だろ』
『いや、赤だ。どれだけ拭っても、どれだけ洗っても、この手にこびりついた記憶は消えない』
『白だって。お前さんの手袋は白い。それと同じように、ロイ。お前は白い』
真っ直ぐ見つめた瞳。
彼がいなければ、私の正気などとっくに崩壊していた。
『ならば、お前も白だな』
『俺か?俺は……』
回想のヒューズの言葉は、風に消された。
Side ヒューズ
質問の答えはなんだったかと、たまに思う。
『ならば、お前も白だな』
泣きそうな、耐えているような、そんな表情。無理して笑うクセ…わかってるから、
茶化したような気もする。
『間をとって、ピンクだな』
ピンク色の妄想なら得意だ。
その台詞にヤツは露骨に眉間に皺を寄せた。がははと笑い飛ばしてやることしか出来なかった。
『血塗れの手で彼女を抱けるのか』
胸を抉る台詞。
血に濡れ、血に塗れたこの腕で一般人を抱くのは覚悟がいる。
なら、お前は……同じ戦線で闘ってきた、同じ血に塗れた腕を持つお前ならどうなんだ?
お前を抱き締める―――腕は、あるのか?
Side …
「っつあ!!!」
布団を跳ね除けんばかりの勢いで、ロイは目を覚ました。額を伝う嫌な汗。身構えそうになり、見知った景色にふとため息が漏れた。
戦争は、多大な傷をもたらした。国も人も疲弊し、前線に出ていた軍人の心にさえ闇が巣食う。
「…大丈夫かぁ?」
広くないベッド、隣に眠る男からの声にびくっと肩を揺らし…相手がヒューズだと認めて安堵する。
戦争の夢を見たときは、一瞬ここがどこかわからなくなる。あの戦乱の地が現実で、
この平和そうな今が夢ではないのか。
そんな疑心暗鬼に支配され、よく眠れない日々が続いていた。それを打ち破ったのがヒューズだ。
半ば押しかけるようにムリヤリ同じベッドに入ってくる。
ロイが眠るまで付き合い、夢で起きたときは同じように起きる。
同じ戦地にいたはずなのに、ヒューズが支えてくれていた。
生きていけるのは、彼の優しさで大地が潤うからだ。
「ああ…起こしたか。すまん」
「いや、また夢でも見たんだろ」
ニッと笑われて、苦笑にも似た顔を返す。
恐い夢―――初めて人を殺した。
初めて人を焼いた。
自分の持っている、人とは異質の力で、数え切れないニンゲンを焼いた。
皮膚の焦げる音、たんぱく質を焼く臭い。
嗅ぐたびに嘔吐感があった。
けれど戦争が終わるころには、その臭いを嗅いでもなにも感じない自分がいた。
嘔吐感も、楽しさも、嬉しさも、憎しみも、怒りも、憐憫も、哀しみも…ニンゲンならば持ち得る全ての感情を忘れていた。
感情を無くして生きるのは、死んだも同然じゃないか?
何度そう自問自答しただろう。
死んでいった人々、仲間、敵…生きている俺はなにも出来ない。
けれど、支える腕があったのも事実だ。
あの虚無の日々、分かり合い、理想を語り、切磋琢磨してきた彼の…逞しい、腕。
『お前さんは、優しすぎる…』
戦争も終結し、あの砂漠で実りの雨が降った。
それは死んでいった者達を葬送る鎮魂歌。
傷ついた大地を癒す恵み。
そして燻った焔を消す―――哀しい、雨。
『優しくなんて、ないさ』
『全て背負うな。死んでいった者達の人生まで負う必要なんかない』
『…そう言うな。私が人生を奪ったのだ。私ぐらい、覚えていてやらないでどうする』
笑ったつもりだった。
けれど笑えていなかったみたいで、ヒューズは抱き締める腕に力を込めた。
『馬鹿野郎…』
震える肩…温かい、雫。
『泣け!!縋れ!!今は俺しかいない。このままあっちに戻っちまったら、お前はもう泣けなくなる。このまま見ないでやるから。お前を、抱き締めるから』
お前にも、雨は降っているのか?
止まない雨―――涙も全て覆い隠してしまう、雨が。
◇
「懐かしい、夢を見た…」
「そうか…」
相槌を打ちながらヒューズはベッドを出た。キッチンへ行くその裸の背中を見て、ロイは優しい目をした。
いつも護ってくれる背中。
逞しい胸。
そして、優しい腕。
彼がいたから生きてこれた。
きっとこれからも、彼という存在がいるから、高みを目指して生きていける。
悪夢から解放される日は来ないだろう。
それでいい。
夢の中だけでも、彼らという存在を覚えておくことが供養になる。
だから現実では、もう考えない。
死んでいった者達よりも、今を生きる彼らのほうが大切であるから。
「ほら」
差し出されたマグカップにはホットミルクが入っていた。舌に残る熱さ、初めてキスをしたときのようだ。
「ヒューズ」
「ん?」
「ありがとう」
「はっ!!?」
「いや…お前がいてくれて、よかった」
「お、おぅ」
はにかんだ笑顔に柄にもなく耳まで真っ赤にしながら、ヒューズはロイの額に手を当てた。
残る汗。うなされる程の悪夢、それでも気丈に笑うロイ。
支えられているか?
「俺は…」
お前という、存在を。
「熱はないぞ」
「珍しく素直だからな」
「弱ってたんだ」
「…そういうことにしてやるよ」
ロイのマグカップを取り、サイドテーブルに置きながら唇を重ねる。
抱き締める優しい腕のぬくもり。
今夜はもう、夢は見ない。