―――ここは天の岩戸でもなけりゃ駆け込み寺でもねえんだがな。 仄暗い空間に鈍く広がる緑の光を受けながら画面に視線を固定している後ろ姿を、イシカワは溜息とほんの少しの後悔を持って眺めた。 |
「攻性防壁を組み直したいんだ」 ダイブルームの主であるイシカワにトグサが相談を持ちかけてきたのは今から3週間前、傀儡廻の一件が片付いて2週間を過ぎた頃だった。 自分の電脳内にある防壁を一から組み直したい、自分は電脳戦に長けているわけではないから手助けして欲しいと頼まれた。 突然のその申し出に、イシカワがそれは今まで以上に強固な防壁をということかと問うと、彼は短くなった焦げ茶色の髪を微かに揺らしてそうだと答えた。 事件当時トグサは隊長でありながら犯人に電脳をハックされるという失態を犯し、自分の可愛い娘をも巻き込むという事態に陥った。 隊長である以上に人の親である彼にそれは随分堪えたのだろう。そう推察したイシカワは自分の手の空いているときでよければと快諾した。 「悪いな、イシカワが忙しいのは分かってるんだけど」 「今のお前さんに比べりゃ幾分暇はあるかもな。見てな、折角だから底意地の悪いモン教えてやる。本人にも突破出来ない代物をよ」 「・・・・・・俺の頭ん中に迷路作る気かよ・・・・・・」 火の付いていない煙草を加えて口端を引き上げ視線を斜め上に移すと、傍らに立っていたトグサは実に嫌そうに顔を歪めた。 その表情を見てイシカワは快活に笑った。そうして久々に彼の素の感情を見たと思った。 隊長就任以来消し去っていた感情を乗せた表情が、そこにはあった。 イシカワの笑いにトグサは顔をむくれさせたが、すぐに安心したように顔を緩めた。 「俺も手の空いたときにしかできないから、時間かけて作ることになりそうだけど。ある程度組み上げたら見て欲しいんだ」 「了解」 しかし、手の空く時間と言っても二人の職場は366日営業と内部から揶揄されている公安9課だ。 トグサにしろイシカワにしろ互いに手の空く時間などそうそう得られない。 数日後からトグサはダイブルームで攻性防壁の組み上げを始めたのだが、待機中の合間に通っているようで相談を受けて3週間経った今でも新たな防壁は5分の1も組み上がっていない状態だった。 ―――まあコレに手をかけた回数なんざ、今回でようやく3回目だしな。 しかも前回・前々回と作業途中に召集が入ったり優先事項の案件が上がったりと、とても集中して組み上げられる状態ではなくこれでは完成がいつになるか分からないと二人して苦笑したのを覚えている。 そのことを思い出しながらイシカワは、今日も当直待機の中、時間を捻出してここに来たのであろうトグサの様子を斜め後ろのダイブチェアに腰かけながら眺めていた。 今夜、トグサがこうして画面に向かってかれこれ2時間余りが経過している。 今のところ緊急の召集は掛かっていない。 少しやつれたか、と鈍い緑色の光を顔面に受けている横顔を遠慮なく探る。 長かった髪を切り、肩までに整えた顔は2年の間に少しばかりの貫禄を付けたようだが、それと比例して疲労の色を濃くすることが増えた。しかしそれも少佐が戻り、トグサの気苦労は減らずとも体力的な疲労は多少軽減されるだろうと思っていた。 思っていたのだが。 イシカワは大きく息を吐き出しながら腰を上げた。そうしてトグサの横から手を伸ばすと目の前のキーを軽快に叩き始めた。 「えっ?!」 眼に入っていた情報が突然保存終了を告げ、状況を理解する前に初期画面となったことにトグサは呆然とする。 イシカワがキーから手を引いて無意識に首を回したところで、ダイブギアが勢いよく撥ね上がった。 「イシカワ!いきなりなにするんだよ!」 トグサの抗議の声を気にするでもなく隣のダイブチェアに座り直して背を預ける。キーを叩いて特に急ぎではない案件の詳細を画面上に呼び出した。 トグサはその間も消された画面を呼びだそうとしているがいくらキーを操作しても画面はうんともすんとも言わない。その様子をちらりと見遣ったイシカワは、画面を見ている風を装って電脳内に9課のマップを呼び起こした。 ある人物のマーカーが共有室で点滅しているのを確認する。 イシカワは予想通りすぎて失笑も出てこないと思った。 「困ったクソ餓鬼どもだ」 「は?なに?」 「いんや、なんでもねえよ。こっちの話だ。それより諦めろ」 聞こえた疑問符を受け流して、代わりに視線と顎でソレ、と、トグサが格闘している画面を示してやる。 その言葉にトグサはむっとした表情を見せたが、キーと画面にもう一度だけ視線を走らせてようやく諦めがついたらしい。「あーもう・・・・・・」と情けない声を上げて背凭れに全身を預けた。 |