イシカワは病室でトグサの見舞いを受けていた。
出島事件の後再入院となり、こうして元の病室に逆戻りしている。
もっとも回復していない状態で抜け出したのだから再入院というよりは単に戻ったと言った方が正しいのかもしれない。
クゼとゴーダの末路を聞いた後、病院に戻るようにとの少佐の指示を受け、その通りに戻ってみればもぬけの殻となっていた病室に気付いた看護師たちに捕獲された。
説教と共に病室に連行された後、巡回を増やされたのはイシカワにとって手痛い変化だった。
―――隠れて煙草が吸えない。
それを2日前、見舞いに来たこの男にぽろっと零した。
トグサは気の毒そうな顔をして「まあ・・・退院する頃には肺がちょっと綺麗になってるんじゃないか?」と、愛煙家にとっては慰めにもならない言葉をかけた。
そうして今日、また見舞いにやって来たトグサの手にはビニール袋が握られていて中には数個のリンゴが鎮座していた。
煙草が欲しくなるのは口寂しいからだろ?と、ビニールからリンゴと、これまた持参した果物ナイフ、紙皿を取り出して手際よく皮を剥きだす。
トグサの気遣いは嬉しいがそれでもイシカワはそれを見て、なんだ煙草じゃねえのかと遠慮なく肩を落としたのだ。
「リンゴは煙草の代りにゃならねえぞ」
「代わりにしとけよ、栄養あんだし。あ、なんならウサギリンゴにしてやろうか?」
「阿呆か。剥いてる時点で出来ねえだろ」
「次ので作ってやるって」
「そんなに食えん」
トグサは口を止めることなく、ナイフで皮をするすると削いでいく。イシカワはそれを案外器用な奴だと思いながら眺めていた。
しゃりしゃり、しゃりしゃり。
一定の間隔で聞こえる音が心地良い。
赤とクリーム色の筋が手元から螺旋状に、くるくると伸び続けて―――。
「―――トグサよ」
「んー?なに?」
「上手いもんだな」
イシカワの言葉にトグサは何だと顔を上げる。そうして指さされているものに気付いて得意げに笑った。
「こう見えても一通り作れるんだぜ?結婚する前までは一人暮らし、結構長かったから」
そう言って手元のリンゴをナイフを入れたまま軽く掲げてみせた。
イシカワが指さしたものは剥かれたリンゴの皮だ。それが一度も切れずに剥かれている。その先端はトグサの膝の上に置かれた空のビニール袋に収まっていた。
トグサの台詞にほう?と片眉を上げる。
「一通りって、料理か?」
「自炊して包丁使いにも慣れたからな」
「慣れるくらい寂しい生活してたってこったな」
「そんなことねーよ」
軽い応酬をしながら、トグサはナイフを進めて残った皮を実から剥がしていく。丸一個分の赤い皮がビニール袋に1本の筋となって収まったところでへた部分と芯の部分を切り取り、紙皿に盛っていった。
どーぞと差し出された紙皿からひとつ摘んで口に運ぶと甘酸っぱい果汁が口に広がる。
トグサもイシカワの後にひとつ取って口にし、高いだけあって美味いなと嬉しそうに呟いた。
煙草の代わりにはならないと言ったが確かにいい品物らしく、イシカワはつい二つ目三つ目と口にする。
続いて手を伸ばしているその横でトグサは棚に置いたリンゴをひとつ手にして、手慰みのように両の手の内で行き来させた。
「なあイシカワ」
どこかぼんやりとした表情で室内を見回していたトグサに、どうしたと視線を向ける。トグサは視線を部屋に巡らせたままぽつりと呟いた。
「花、持ってきてやろうか?」
――――――。
イシカワは固まった。口の中にも手の中にもリンゴが残っていなかったのは幸いだった。
紡がれた単語が分からない。聞こえはしたが理解できなかった。
こいつは今、何を言った?
”ハナ”、と言ったか?
思わずまじまじと顔を見ると、電脳のスペシャリストの思考を一瞬だが見事に止めた張本人はまだ部屋を見渡している。そうして返事がないことを不審に思ったのかそこでようやく顔を向け、イシカワと目を合わせると思いっきりたじろいだ。
「っ、な、なんだよ・・・・・・」
そんなにおかしなことを言っただろうか、そんなふうに首を傾げるトグサをイシカワは奇妙な顔つきで見つめた。
花。
ここに、花。
俺の、近くに、花。
イシカワはひとつひとつ、情報を処理していくように自分の電脳内で”ハナ”を繰り返す。どう繰り返しても同じ光景しか浮かばなくて眩暈を覚えた。
―――何かを想像して眩暈を覚えるのは初めてかもしれん。
揉み解すように手を眉間に持っていくと疲れたようにトグサを呼んだ。
「花は、いらん」
「そうか?」
「―――ああ、お前さんの気持ちだけ、貰っとく」
病室に自分と、花。
これ程似合わないものはないと脳内で呟く。
他の9課員なら、嫌がらせの意味合い以外では決して出てこない見舞い品だ。だがトグサは至ってまじめな顔をしており、嫌がらせではなく本心だということはすぐに分かった。
しかし分かったからと言って受け取る気などイシカワには更々ない。
そもそも見舞い自体が滅多にないことで、こうして顔を見せに来るのは9課員くらいだ。身内はいない。だから、リンゴという見舞い品だけでも実は多大な違和感を感じているのだ。
「でも殺風景だよな。花でも活けておけば気も紛れると思うけど」
トグサは再び室内を見回している。確かに白い壁と簡易テレビとベットだけという光景は殺風景に見えなくもない。
だが電脳通信を遮断されているわけではないのでネット上に好きにダイブができる。ダイブすれば、室内がどうなっていようと関係ない。気を紛らわせたいのならそうすればいい。事実、ここ数日のイシカワはこれ幸いとネットにアクセスしているし、他の9課員だって同じことをするだろう。トグサとてそうするだろうが、それでもこの殺風景さは気になるらしい。
これが並みの人間の感覚かと、眼を瞑り、息を吐きながらそう思った。
「―――寂しいだろ?こんなに何もないとさ」
その言葉に苦笑を誘われる。寂しいとは―――。
「なに言ってやがる、寂しかねえよ。お前さんみてえにお子様じゃあるまいし」
「そっか?この間もだけど、いつもより口数、増えてるぜ?」
「――――――。」
イシカワは閉じていた目を見開いた。
凝視した先では、トグサがまるで悪戯が成功したような顔をして覗き込んできている。
チョコレートブラウンの瞳は嬉しそうに細まっており、”図星だろ?”と語っているようだった。
―――この、クソ餓鬼。
そう言ってやりたいのに口が開かない。喉の奥まで言葉がせり上がっているのに、どういうわけかそこで詰まってしまって、その感覚だけが妙にリアルだ。
言葉もなくして固まっているイシカワを見て満足したのか、トグサは手元のリンゴを棚に戻すと腰を上げた。
「じゃ、また来るよ」
お大事にとお決まりの文句を言って病室のドアノブに手をかける。
イシカワは背をぐったりと後ろに預けた。
―――ああ、まったく、コイツは本当に。
「トグサッ」
ここに他の奴らがいなくてよかったと、イシカワは今、心の底から思った。
呼び止める声が、らしくなく大きくなってしまったことには触れないでくれと願った。
「花はいらん。枯らしてしまうだけだからな」
再び眼を瞑り、天井を仰いでぶっきらぼうに告げる。
トグサがどんな顔をしたのかそれは分からなかったが一拍置いて一言、了解と返ってきて、そうして彼は出て行った。
「あのクソ餓鬼め」
廊下に響く規則正しい音が聞こえなくなって、イシカワはようやく眼を開いた。
アイツは見舞いに来たのか、からかいに来たのか―――まあ、純粋に見舞いに来たんだろうが。
未だ落ち着かない胸のざわつきを無視するかのように内心でぼやいていると、ふと眼の端に赤いものが引っ掛かった。
棚に置かれた二つの置き土産だ。
室内を見渡せば剥いた皮も紙皿も、綺麗になくなっていた。給湯室で捨てるつもりだったのか病室には残さず、おそらくビニールに突っ込んで持って出たのだろう。
二つのリンゴ以外は、いつもの病室に戻っていた。
白い壁と簡易テレビとベットだけの、いつもの病室だ。
「――――――」
―――寂しいだと?馬鹿言うな。
イシカワは口に出さず、また来ると言い残して出て行った若い同僚にそう悪態をつく。
それと相反して緩んでいく目元と口元を自覚するが、止める気は不思議と起こらなかった。
「お前さんの感覚が、ちっとばかしくすぐってぇだけだ」
自然と零れ出た穏やかな声色に、これは本当に自分の口から出たものかと鼻で笑う。
イシカワは背に敷いた枕に沈んで、やはり煙草が吸いたいと思った。
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