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みぎの手と、ひだりの手と。 |
| 「じんにいちゃああぁあんったいちろうにいちゃんがしんじゃうよおおおおおっ」 「―――兵悟?」 兄の携帯からかかってきたのに、聞こえてきたのは弟の叫び声だった。 「過労ですね。2〜3日安静にしておいて下さい」 往診に来てくれた馴染みの老医者はベッドに臥している男の症状をそう診断した。 三日分の飲み薬を処方しながら、何かあれば連絡をと傍らに座る兄弟へ目を向ける。 学生服に身を包みきっちり正座をして診断を待っていたのは坂崎家次兄の甚で、 その甚の服をしっかり掴んで座り込んでいるのは神林家へ養子にいった兵悟だ。 「ありがとうございました」 医者の言葉を聞いた甚は丁寧に頭を下げて礼を述べる。兵悟は医者が長兄の傍を離れると次兄の腕をぱっと放してベッドへ駆け寄った。 その様子をちらりと見て、風邪ではないのだから近くにいても構わないか・・・と医者を見送るために自身は部屋を出る。 玄関先でもう一度、お世話になりましたと頭を下げてドアが閉まるのを待つ。 医者の足音が遠ざかってゆきドアも完全に閉じたことを確認すると鍵とチェーンをかけ、そこで小さく息を吐いた。 それと共に肩からも力が抜けていくのが分かって、甚は自分がひどく緊張していたことを自覚する。 体を室内へ向け、ドアにどさりと背を預けて軽く上を向くと今度は長く息を吐いた。 息が止まるかと思った。 幼い弟が電話口で叫んだ只ならぬ内容に、甚は担任を捕まえて理由を話すと学校を文字通り飛び出してきた。 そうして自宅へ戻ってみれば、玄関から続く廊下には倒れこんだ兄と、傍で泣きじゃくる弟がいた。 鞄をその場に放って二人に駆け寄り、兄さんっ、と声をかけながらそれでも動かさないように顔を覗き込む。 細く短い息と見るからに悪い顔色。よく見ると肩で息をしており額にはびっしりと汗が浮かんでいた。 手を当てると子どもでも分かるほどの熱さが伝わってくる。 「じ・・・にいちゃっ・・・たいちろっ・・・にいちゃんが・・・・・・っ」 長兄に縋り付くように座り込み、しゃくりあげながら言葉を発する弟の手には携帯が握られていた。 確かあの携帯には病院のメモリがあったはずだ。 免許を持っていない自分では兄を車で病院へ連れて行くということはできない。 タクシーを呼んでもここはマンションの3階で、しかも上背のある兄を階下まで運ぶのは困難だ。 倒れた拍子に頭を打っている可能性も考えるとやはり素人が動かすのは危険すぎる。 甚は倒れた兄を挟んで向こう側に座っている弟へ手を伸ばした。 「兵悟、大丈夫だ」 「ううう〜〜〜・・・っにいちゃ・・・っ」 「大丈夫だから、その携帯を」 「うわあああぁっ」 貸してくれと続けるが、その声は幼い泣き声に掻き消される。 兄に頭を擦り付けている弟にはもう一人の兄である甚の言葉を聞く余裕がない。 おそらく目の前で倒れてしまったのだろう。十に満たない弟にはショックが大きかったようだ。 長兄と違い自分より遥かに年下の子どもの扱いに慣れていない坂崎家の次兄は、兄が弟をどうやってあやしていたかを記憶から必死に掘り起こす。 普段は乱暴な言葉遣いが多い兄だが、兵悟がぐずっていたときは―――後ろから抱き込んで頭を撫でて。 ゆっくりと話しかけていた。 「兵悟」 ― 兵悟? どうした? ―と。 「太一郎兄さんは、大丈夫だ」 「・・・・・・う・・・・・・っ」 「大丈夫だ」 兵悟の体をゆっくりと抱き起こす。小さな頭を撫でながら甚はゆっくりと、一言ずつ区切って話した。 「医者に兄さんを診てもらおう。その携帯を、貸してくれるか?」 「・・・・・・?」 「それを使って、医者に連絡しよう」 少し落ち着いたのか、大好きな兄を助けると思ったのか、兵悟は握り締めていた携帯をばっと甚へ差し出した。 それを受け取ると兵悟を抱き込んだまま片手で開く。 兵悟はその動きを大きな目でじっと見つめてきていたが、甚のほうも弟を安心させる言葉をという余裕はもうなくなっていた。 自分と同機種の携帯を手早く操作してメモリを呼び出し、コールボタンを押す。 数度のコール後に聞こえてきた声に、内心焦っていたもののできるだけ正確に症状を説明した。 それから数十分後、馴染みの老医者が往診に来てくれたのだった。 大事でなくて、良かった。 いつの間にか閉じていた目を静かに開けて、玄関から見えるドアのひとつを見つめる。 兄は今、薬で眠っている。 もう、大丈夫だ。 弟に繰り返し言って聞かせた言葉はそのまま自分の中にも落としていったものだ。 そうしなければ、弟と同じようにではないが、どうにかなってしまいそうだった。 あんな風に倒れる兄を、見たことがなかったから。 大丈夫。 甚はもう一度自分の中に言葉を落とすと体勢を立て直し、大好きな兄と可愛い弟のいる部屋へと歩いていった。 |
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