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| 「お〜い、下津浦。お前んとこのが外本に喰われてんぞ」 それは随分と間延びした声だった。 正面からかけられた言葉に下津浦が顔を上げると、そこに座る坂崎は煙草を吹かしながらあらぬ方向を向いている。 その視線を追うと座敷の奥、自分たちの座るテーブルからもっとも離れたテーブルで”らいこう”の面々が外本に絡まれていた。 外本は、”ふどう”の潜水班長である。今、この宴会に参加しているほとんどの潜水士たちから見れば船は違えど目上の存在だ。 その先輩の酒を断ることができなかったのだろう。麦酒の大ジョッキを片手に、外本対”らいこう”の飲み比べが行われている。 というか、半強制的に飲まされている。 哀れ”らいこう”の潜水士たちは、揃いも揃って顔色を変えていた。中には早々と戦線離脱を果たした者もいるようだ。何人かは畳と仲良くなっている。 「”らいこう”は相変わらず飲めねえなあ。まともにイケるのはお前だけじゃねえ?」 煙草を灰皿に軽く当てて灰を落とした坂崎は、そう言ってテーブルの上に置かれたビール瓶を手に取った。 下津浦はそれに合わせて軽く頭を下げながらコップを差し出す。中身が3分の1ほどに減っていたコップは見る間に琥珀色の液体で満たされた。 下津浦は返杯しようと坂崎の持つ瓶に手を伸ばしたが、それは意に反して遠ざかりテーブルの下に隠される。 「おや、”しらは”さん、もうギブアップですか?」 先ほど「”らいこう”は飲めない」発言を受けた下津浦は、わざとらしく片眉を上げてからかうように言った。 ”らいこう”の面々が酒に弱いのは事実だが、同じ潜水士に指摘されるのはやはり面白くない。 ”坂崎”ではなく、敢えて”しらは”と言ったのはちょっとした趣旨返しだ。 「違ぇよ、バカ」 下津浦を半目で睨みながら坂崎はビニールカバーで補強されたお品書きを広げる。 なるほど、味を変えるらしい。 下津浦は注文を取らせるため近くに座る自分の部下を呼び寄せた。 「んー、日本酒にすっかな」 坂崎はざっと眺めてどれを飲むか品名を決めると、下津浦が呼んだ部下にお品書きを渡す。それから「コップは2つな」と注文をつけた。 「2つですか?」 下津浦はまだ麦酒を飲んでいる。各巡視船の潜水班長たちが占拠しているテーブル上のコップを確認してお品書きを渡された部下は首を傾げた。 「飲むだろ?甚」 「ああ、頂こう」 坂崎は下津浦の部下の問いには答えず、代わりに隣に座る男へ話しかける。 トッキュー隊長の真田だ。 さきほどから一人もくもくと食べて、飲んでいる。斜め前に座る下津浦にはその様子がよく見えていた。 体格は真田のほうが彼より少し小柄なのだが、片付けていく皿の枚数は雲泥の差だ。 同じ潜水士でもトッキューは違うものだなとひっそり舌を巻く下津浦をよそに、坂崎と真田は親しそうに話している。 そんな2人を、下津浦は麦酒を飲みながら眺めた。 下津浦は、坂崎と真田が潜水研修の同期生だということを坂崎自身から聞いたことがある。 まだ坂崎が”みずしろ”の潜水士だった頃だ。下津浦はそこで一時期彼と共に潜っていた。 一時期というのは、下津浦より数年先輩にあたる坂崎が暫くして佐世保海上保安部巡視船”しらは”へ転属になったためだ。 それきり坂崎とは潜っていない。 坂崎さんとバディを組むと潜りやすかったな。 下津浦はふとそんなことを思い出した。 坂崎は一見細身だが、筋力体力共に遜色ないごく平均的な潜水士だ。 社交的というのか、誰とでも打ち解ける明るい性格のため、”みずしろ”時代は誰と組んでも上手くいっていたのを下津浦は覚えている。 それから、海中での勘の良さが群を抜いていたこともだ。 それを素直に羨ましいと告げたとき、彼は少し苦そうに笑った。 「勘が良くても、なあ」 そうして、こう言ったのだ。 「トッキューに真田甚っつって、俺より勘のいい奴がいるぞ」 そのとき真田の名前を初めて聞いたのだ。 ただ同時に、いつも物怖じしないすっぱりとした喋り方をする坂崎が、ゆるりとした口調で話したことが少し引っかかった。 それから暫くして坂崎に転属命令が下りた。 坂崎が椎間板に故障を抱えていることは知っていたが、その原因が自身の勘の良さと命令違反によるものだったということを下津浦が知ったのは彼が異動した後だった。 「てめぇ聞いてねえだろ!下津浦っ」 「だっ」 突然、ゴスっという鈍い音と共に衝撃が走り、下津浦は間抜けな声を上げて片手で額を押さえた。 何が起こったのか分からず正面を向くとビール瓶の底が向けられていた。 「坂崎、瓶の口でやった方が良かったんじゃないか?」 「いや、そっちの方が痛ぇだろ・・・・・・」 「意識をこちらに向けさせるには、より効果的だと思うぞ」 「瓶の底でも充分だっての」 ビール瓶の底を向けているのは坂崎で、真田の発言に顔を引きつらせている。 どうやら坂崎にビール瓶で小突かれたらしい。 「いきなりなんですか」 「いきなりじゃねえよ!何遍呼んだと思ってんだ、無視しやがって」 そう言いながら坂崎は再び下津浦の額を小突く。 数年前の事を思い出していた下津浦には、坂崎の数度の呼びかけが聞こえていなかったのだ。 縦社会に倣って下津浦が素直に謝ると、坂崎は「もう酔ったのか?」と呆れたように言って瓶を離した。 「で、なんです?」 坂崎と真田の間に置かれた日本酒の瓶を手にして、2人のコップに注ぐ。 坂崎には話を聞いていなかった侘びの意味で、真田には年長者に対する礼儀としてだ。 「だからよ、俺とお前が”みずしろ”でバディ組んでたって話だよ」 「・・・・・・。ああ。そのことですか」 ついさっきまで思い出していた”みずしろ”時代の話が、期せずして坂崎自身から飛び出したことに下津浦は一瞬言葉を詰まらせた。 そのためそっけない返事になってしまったが、そこは見逃して欲しいと下津浦は内心で思う。 しかし坂崎は下津浦のその様子に気付くことなく、日本酒が注がれたコップに口を付けながら真田に目を向けた。 「俺、お前に下津浦の話、したことなかったっけ?」 「初耳だと言っただろう」 真田も日本酒を煽る。 「そうだったっけなー・・・・・・」 話してないかどうか、本当に覚えていないのだろう。坂崎は「大抵のことは甚に話してんだけどなあ」と呟いてはしきりに首を捻っている。 「大抵なら、話してないこともあるだろう」 「揚げ足取るなよ、ったく・・・」 坂崎はがしがしと頭をかいた。真田相手にどうやら分が悪いようだ。 「まあ、あの頃はとにかく海難が多かったよなあ。下津浦、あれ覚えてるか?」 玄界灘での・・・と、坂崎は新しい煙草に火をつけて話し出した。 それを下津浦は意外だと感じた。 下津浦にとって”みずしろ”での生活は悪いものではなかった。 たったひとつ、知らなかったとはいえバディを組んだ先輩に言わせてしまった言葉が苦く残っているだけで。 だが坂崎にとってはどうだ。 坂崎には、あの事故自体が消えない傷となって体に残っている。”みずしろ”はそれに直結する場所だ。 どれほどの苦味か、自分で経験したことのない下津浦には想像が付かない。 それでも坂崎は今、真田に語っている。笑って、話しているのだ。 2人の向かいに座る下津浦は自分のジョッキに残った麦酒を一息に仰いだ。 ”みずしろ”の頃が、坂崎にとってただ苦いものだけではないといい。 下津浦にはそれが身勝手な想いだと分かっていたが、それでもそう願いながら向かいに座る2人の話が尽きるまで付き合い続けた。 |
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